宗 教 科 学 関 連 辞 典



※注:立場上、曹洞宗の事柄や仏教用語が多くなります。特定の宗教観や世俗的なものだけに偏らず、あくまで真理追究の手段としての客観性を重んじます。所属する日本曹洞宗以外は責任を負えず、宣伝や誹謗中傷にも繋がりかねないので、その他の教団・宗派名は記載しません。そのような考え方をしている団体があることを提示するだけに留めます。私自身、仏教も含めて、如何なる教義が正しいのかという心は消えません。ここにあるのは私の見解もありますが、少しでも宗教に迷いや誤解・疑念を抱いている方の手助けになって下さればと思っています。また、時間に余裕があれば勉強して随時、項目を追加して行きたいと考えています。



〈あ〉

アダムとエバ――旧約聖書「創世記」の冒頭に見られる人類始祖。私自身は、全てではないが聖書を仏典よりも現実的な書物として捉えている為、アダムとイヴが実在の人物であると考えている。仏典も素晴らしいが、歴史的要素より物語的要素が強過ぎる為。ダーウィンの進化論も然ることながら、我々の直属の先祖は300万年前に始まるクロマニヨン人とされている。無論、我々の先祖はジャイアント・インパクト(細胞が付着した隕石が地球に衝突して月と生命が誕生)に見られる通り、たんぱく質やアメーバであろう。クロマニヨン人は攻撃的で他の猿人種を滅亡させたという。ただ、クロマニヨン人が飛躍的に進化(聖書では一日で人間が誕生したというが、それは神々の一日であって、実際は長い時間)した背景には、神の見えざる力が働いていたと考えられる。そして、最近の科学では"ミトコンドリア・イヴ"という言葉があり、我々人類は共通した一人の母親に辿ることができるDNAを持っているという話しもある。その研究によれば、日本人も"たった6人の女性"から派生したという。

天照大神(あまてらすおおみかみ)――日本神話の中心的・代表的な太陽の女神。岩戸に隠れた天照大神を賑やかな宴会を装って、何とか出て来てもらおうとした神話があるが、これは人々を驚かせる日食が起きたことに由来する。しかし、それは誰もが知っていること。ここで言いたいのは、宗教的・歴史的な背景には必ずモデルがあり、誇張されることはあっても、根も葉もない所から神話や聖典は派生しないということである。また、卑弥呼も同様に象徴とはいえ、トップが女性とされるのは当時の平和な時代背景を物語っているのではなかろうか? また、ユダヤ教の祖・モーセの出エジプトの際に海が割れたというのも、実際には激しい潮の満ち引きであったのではという研究がなされている。ノアの箱舟については当時、世界的規模の洪水があったことを示す痕跡が各地の遺跡調査で判明しているようである。

イエス・キリスト――

イエズス会――

イスラム教――

一神教(いっしんきょう)―― 一神教が正しいか間違いかは賛否両論は分かれるだろう。ただ、時に一神教は嘗て共産圏の粛清に見られる如く残忍な歴史事実が消えない。一神教と呼ばれるものは、ゾロアスター教(拝火教)・ユダヤ教・キリスト教・イスラム教で、唯一神や善悪二極などの基本的考えは全てゾロアスター教に端を発し、その性質上、砂漠地帯など過酷で厳しい環境下で強く信仰される。また、ギリシヤ神話・北欧神話・古代インド神話・日本神話など世界の殆どは多神教なのである。キリストはユダヤの地で一神教を説き、釈尊はインドの地で多神教を説いたのは極自然の流れで、キリストも釈尊も土着の宗教・思想に影響されるだろうし、贖罪や救済を最優先と考えるならば、そこに住む人々に受け入れられなければならない前提があったと思われる。いずれにせよ、日本の新興宗教は別として、アフガンのタリバンが行なったバーミヤンの大仏爆破事件に見られる通り、仏教徒が一番温厚な宗教ではなかろうか? あれが、他の宗教であったら、血で血を洗う宗教紛争に発展していたかもしれない。

命の木(いのちのき)――旧約聖書「創世記」に登場するエデンの園の中央に生えていた二本の木の一つ。取り分け、人間の人格完成の象徴して記されているとされる。

因果応報(いんがおうほう)――良いことをすれば良い結果があり、悪いことをすれば悪い結果がある。

盂蘭盆会(うらぼんえ)――俗に言う「お盆」。釈尊十大弟子の一人・目蓮尊者が神通力によって餓鬼道で苦しんでいる自身の母親の存在を知り、釈尊の勧めで目蓮尊者が7月15日の制中(寺に篭る修行)を終えた修行僧たちに供養することから始まった。差別的・人権的見解から現在では施餓鬼供養とは言わず、施食供養と言って「お盆」の先祖供養と合わせて営む。一般的に曹洞宗では、「大悲心陀羅尼」「甘露門」「施食回向」の流れで檀信徒の供養に当たるところが多い。

ヴァルキリー(ゔぁるきりー)――読み方が少し変わって、ワルキューレなどとも。

回向(えこう)――「功徳を廻らし以って向ける」という意味で、曹洞宗では経典の後に読まれる祈りの文。









大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)――曹洞宗で良く唱えられる経の一つ。観音さまの慈悲と救済を願い感謝し、その偉大さを称えたものである。



〈か〉

カトリック――

共産主義(きょうさんしゅぎ)――深くは追求しないが、その人物や体制が良いか悪いかは正しい歴史が物語る。ただ、共産圏の人は共産主義を悪く言わない。キリスト教圏の人もキリスト教を悪く言わない。鋭い教育を受けたり、身内の問題など複雑であるかと思われる。それはイスラム教も仏教も同じである。中々、分かっていても正しいものは正しい、間違っているものは間違いと言えないものである。中国とは別組織として日本曹洞宗あるように、日本共産党がある。宗教者も政治家も明るい未来を築いて欲しいものである。

キリスト教――











外道(げどう)――道から外れたもの。仏教、または仏道の精神と大きく異なる宗教・思想やそれを信仰する者を外道という。仏教には「世の邪魔・外道等に帰依することなかれ」という教えがある。仏教以外だからと言って、キリスト教などが外道ではない。キリスト教や儒教も形が違えど、その根本的本質は世界平和や人間個人の人格完成、他への思い遣りを説いていて仏教と全く同じである。だが、最近は本当に如何わしい変な宗教団体が多い。

血盆経(けつぼんきょう)――女性と出産にまつわる悪業を血生臭く説いたお経。トップページの"経典"で紹介。現在では曹洞宗の方針で、差別経典として回収されている。しかし、旧約聖書の『創世記』にも見られる通り、堕落した女性(エバ)は出産の苦しみを得ることになるという原罪の考え方もある。また、エバは堕天使と姦通し、その後、アダムとも姦通した為、単純に倍の罪の重さがあると考えるキリスト教もある。異常なほど差別に過敏な現代であっても、一概に経典を破棄するのは良くない。臭い物に蓋をするだけでは、単に真理から遠ざかってしまうだけである。また、科学的にも耳を疑う話しだが、エバ(肉体を有する存在)が堕天使(神霊的な存在)と姦通したことについては、聖母マリアが精霊と交わってキリストを受胎した例に似ている。婚姻や性交渉が悪しきものではなく、ここで大切なのは神の御心に適った婚姻・性的関係にあるかどうかである。

ケルビムと回る炎の剣――

孔子(こうし)――世界三大聖人の一人。儒教を説き、『論語』を記した。世界の主要宗教の中で、師弟関係が存在していたのは仏教・儒教・キリスト教のみで、その役割や性質を考えてもその三宗教が特に重要であるということが分かる。

五濁(ごじょく)――妙法蓮華教に記された人間世界の末法(終末)に起こる五つの禍悪。劫濁(天災・人災)、見濁(多くの邪悪な思想が栄える)、三煩悩濁(多くの精神的な悪徳が栄える)、衆生濁(心身両面において人間の質が著しく低下)、命濁(人間の寿命が極端に短くなる)の五種。劫濁については近年の異常気象や大災害による規模や死者数が物語っており、見濁については日本に限ってみても邪悪な新興宗教やカルト教団の問題が異常に多い。三煩悩濁については安易で身勝手な事件の多さを象徴しており、衆生濁については精神的・肉体的に奇怪な病気が増えた。アトピーについても今だ解明されていない点が多く、うつ病による自殺、ストレスによる虐待や暴力などなど。そして、命濁についてはアフリカや中東・インドなどの子供たちの生存率を考えれば容易である。新約聖書の「ヨハネの黙示録」にも代表されるように、キリスト教の終末思想にも、地震が多発する・偽キリストが出現する・不法が蔓延るなど多くの預言を呈しており、人々を惑わした偽預言者や姦淫を改めなかった者については「永遠の炉の中に入れられる」とも黙示録で述べられている。人間社会の裁判や刑法なら上手く逃げ切れることもあろう。しかし、預言によれば、正しく逃れられない天罰が下るといえよう。最近では良く、キリスト教系の新興宗教の教祖が女性信者に対する猥褻や姦淫罪で逮捕されている。しかし、そんな金があるなら、内の超貧乏寺に寄付してくれた方が何億倍も功徳がある。というより、彼らは宗教の名を語った悪だから比べるに値しないけどね…。まあ、何と言っても被害に遭った若い女性信者が可哀想だ。中には小学生もいるという。本音を言えば、今少子化だし、結婚する女性も少ないんだから、独身男性陣としては許し難い事件の一つである。宗教もプレイボーイと同じ。魅力的で口が上手い宗教は大抵怪しい。本来、信仰や修行とは厳しく大変なものである。結婚もそうだが、結局は自分を大切にし、人間性を高め幸せにしてくれる宗教を選んだ方が良い。でも、大半の女性は例え傷ついても理想の恋愛を選ぶのか?



〈さ〉

最後の晩餐(さいごのばんさん)――レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画でもお馴染み。世界の三大悪人にはイスカリオテのユダが並んでいるが、十二大弟子にも数えられている者で、心から尊敬するキリストをたった数枚の銀貨で売るだろうか? イエスとユダの間には絶大な信頼関係があり、人類の贖罪としての磔刑が避けられない状況下で、あえで、ユダが憎まれ役を買ったという説もある。もし、その話が本当であったなら、ユダを悪く扱ってきた人々の罪は計り知れない。私は知らないことを知った風に述べないし、相当な悪で事実が明かなものでなければ批判は極力しない主義。批判や誹謗中傷からは、憎しみ、悲しみ、空しさといったマイナスなものしか生まれない。ダ・ヴィンチは天才かも知れないが、そのことを知っていたのだろうか? 絵によって、ユダが悪者である宣伝をし続けているのだから。無論、それを知った上でユダは任に当たったのだろう。正に、当事者と神のみぞ知る…。

三仏忌(さんぶっき)――釈尊が生まれた4月8日の降誕会(花まつり)、悟りを開いた12月8日の成道会、亡くなった2月15日の涅槃会のこと。理由は省略するが、一部のキリスト教でも、キリストの誕生日ではなく、亡くなった日に供養をするところもある。

三宝(さんぼう)――仏、法、僧。仏は人格者・目覚めた人。法は仏法、真理。僧は仏を目指す者。

三宝印(さんぼういん)――仏教の基本となる三つの柱。諸行無常(この世に完全なものはない)・諸法無我(この世に"私"や"私の物"などない)・涅槃寂静(死して欲望のない本当の安らぎが得られる)。

只管打坐(しかんたざ)――日本曹洞宗の宗旨の一つ。坐禅こそが仏・悟りの姿であるというもの。お釈迦さまの仏像は大体、坐禅の姿をしている。

四苦八苦(しくはっく)――

四姓制度(しせいせいど)――カースト制度。インドを侵略した北方遊牧民・アーリア人が、インド土着のドラヴェタ人を奴隷とすることに端を発する。祭司・王族・平民・奴隷の階級がある。お釈迦さまや道元禅師は王族(皇族)の血を引いている。一般的に剃髪し俗世間から離れることが出家であるという人もいるが、本来の出家の原点は四姓制度から離れることにある。頭を丸めることについても、日本の江戸時代のようにカーストも髪型で差別していた為、カーストから離れることを意味している。おおよそ、キリスト教にも求道者という考え方があり、極端に質素な生活や荒野での断食など肉体を打って神に奉げるが、世俗を離れるために鬚や髪は剃らない。寧ろ、神が設計・創造し、与え貸して頂いた肉体に対して大きく変えないだろう。

自未得度先度他(じみとくどせんどた)――仏教の精神で、一口に思いやりの心。自分より他人を優先する隣人愛。キリスト教の中でも、イエス・キリストが天国ではなく「楽園(パラダイス)」なる場所に留まっているという考え方がある。なぜならば、天国は全人類が揃って迎え入れるもので、イエス・キリストは楽園で待機している状態であるという。宮沢健治のような理念に通づる。

釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)――初めて仏教を悟り説かれた実在の人物。大きく三つの説があるが、約2500年前に現ネパールにあったとされるカピラ国を治めるシャーキャ(釈迦)族の王子として誕生される。多少の発音の違いはあるが、人間としての本名はゴータマ・シッタルダ。仏陀(ぶった・目覚め完成された者の意)、釈尊(しゃくそん・釈迦牟尼世尊の略)、世尊(せそん)など多くの呼称がある。生まれて間もなく母親を亡くし、生活は裕福であったが幼少時より身体は弱く、物事を深く考える人物であったとされる。16歳で結婚して男子を設け、28歳に出家してより6年間の苦行を経て、35歳に成道(悟りの道に至る)し、ガンジス川流域を中心に45年間の布教を終え、80歳に入滅(亡くなる)される。

邪因外道(じゃいんげどう)――全てが悪から生まれたという仏教の考え。キリスト教の原罪という観念に似ている。

十王経(じゅうおうきょう)――閻魔大王や地獄のようすが描かれている経典。中国の思想や儒教・道教の考え方が仏教と融合した結果、インド仏教にはない死後世界について物語れるようになったのではないか?

宗教(しゅうきょう)――

修証義(しゅしょうぎ)――

修証無ニ(しゅしょうむに)――日本曹洞宗の宗旨の一つ。正しい修行によって、正しい悟りが得られるというもの。曹洞宗が厳しい修行を重んじている理由の一つ。

正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)――

儒教・道教(じゅきょう・どうきょう)――

人権(じんけん)――





聖教(せいきょう)――ギリシヤ聖教。ロシア聖教。

善悪を知る木(ぜんあくをしるき)――エデンの園の中央に生えていたという二本の木の一つ。唯一神(ヤーベ=エホバ=アッラー)は人類始祖(アダムとエバ)に中央にある木の実を食べていけないと忠告する。善悪を知る木の美は単なる忠誠の試練という教義もあれば、一歩進んで精神的・肉体的な性愛を象徴しているという教義もある。

禅宗(ぜんしゅう)――坐禅宗のこと。禅宗という名前の一つの宗派が存在するのではなく、坐禅をする宗派を一般的に全て禅宗という。日本には臨済宗、黄檗宗、曹洞宗がある。



曹洞宗(そうとうしゅう)――一仏両祖と両本山を構え、寺院・約1万5千ヵ寺、僧侶・約3万人、檀信徒・約800万人と言われている単独では日本最大の仏教教団。

相対性理論(そうたいせいりろん)――

〈た〉

大般若経(だいはんにゃきょう)――六百巻からなる膨大な教典。毎年始に、健康や安全などの祈願を目的として"転読"する。転読とは教本を振り捲って、一通り読んだことにするという裏業。本当にご利益があるかどうかは本人の気の持ちようであるといえる。

多神教(たしんきょう)――神を人間味あるものとして、絶対的ではなく相対的に考える宗教の立場。古くは穏やかな農耕民族に多い。

堕天使(だてんし)――旧約聖書などで見られる、唯一絶対の神に背いた僕・御使いたち。その代表格は神の寵愛を一身に受けていたとされる天使長・ルーシェルで、この世の神・サタンとされる人物。堕落した者たちの原因は全て足ることを知らない欲望の始まり。しかし、あるキリスト教によれば試練を与えた人類の堕落は別として、天使の堕落・復帰は神の範疇だったという説も。

檀那(だんな)――インドの言葉でダーナ、「施主」の意。寺院を支える1戸を檀家とも言う。日本でも男性をダンナと呼ぶが、それは妻子から見て男親が外で稼ぎ、生活費を家に入れるからである。

中陰(ちゅういん)――人間としての死から人間としての次ぎの生までの期間。また、中陰は中有(ちゅうう)とも言われており、この期間は5〜6才ぐらいの姿をしているという。俗にいう四十九日までが中陰とされ、それまでに新しく生まれ変わるとされている。あえて親切に正しい流れとして整理するならば、人間として死に仏式葬儀で授戒(戒名を授かる)するが、これで仏になった訳ではない。あくまで、仏を目指す菩薩や僧侶の仲間に過ぎず、その故人も本来は生まれ変わるのではなく、誰か生きている人間の霊魂に宿り、その人間と一緒に人生の修練をしていき、やがて仏(人格者)となるのである。あと、良く先祖供養が足りないから罰や祟りがあるという考えが新興宗教や一般の人々に根強くあるが、キリスト教の聖書にはアブラハムやネロなどの立派な義人であっても神が試練として病気や苦境を与える記述があることを知って頂きたい。また、一部のキリスト教では中陰のような役割の世界を説き、それを「煉獄」や「中間霊界」などと呼んでいるところもある。

中道(ちゅうどう)――両極端な立場ではなく、その中間こそが人間の本来あるべき姿であるという仏教の考え方。働き過ぎは身体に悪いが、働かなさ過ぎは社会的に良いとは言えない。食べ過ぎは身体に悪いが、食べなさ過ぎも身体を壊してしまう。極端な快楽や苦痛は人間の肉体や精神を駄目にしてしまう。仏教徒に過激派や原理主義というものがないのも、この中道思想によるところが大きい。

































得度(とくど)――出家得度と在家得度があるが、基本は戒律と仏名を受ける。出家の場合は剃髪し、さらに厳しい環境に身を置く。本来、生前に得度するのが自然だが、現代日本では葬儀(死後)に受けることが多い。キリスト教の洗礼・バプテスマのようなもの。



〈な〉



南無(ナム)――インドの言葉で、「帰依」という意。日本曹洞宗では「南無釈迦牟尼仏」と、お唱えするが、それは"お釈迦さま"や仏の教えを心の拠り所として願う気持ちが込められている。

















ノアの箱舟(のあのはこぶね)――



〈は〉

波旬(はじゅん)――インドの言葉でパーピヤス(最も悪しきもの)。キリスト教でいうサタン。仏教において波旬は天子魔とも言われているが、これは元々の位が高かったことを表している。また、キリスト教においてサタンは堕天使長・ルーシェルのことであり、赤い龍、年老いた蛇、この世の神、明けの明星、黎明の子などとも表記されている。釈尊が六年間の苦行を終え、最後の悟りに至るまでの七日間に及ぶ不眠の坐禅の間、波旬や天女が多くの恫喝や誘惑を試みたという。また、新約聖書にもキリストが行なわれた断食の際に、サタンが「この世の半分を与えよう」と誘惑。キリストは「人はパン(肉体的なもの)のみに生きるのではなく、神の言葉(精神的なもの)一つ一つによって生きるのである。」と答えられた。ご存知の通り、両者は誘惑を退けて人々の救済に生涯を尽くされる。

バベルの塔(ばべるのとう)――



婆羅門教(ばらもんきょう)――アーリア民族固有の多神教。ヒンドゥー教の前身とされる。

般若心経(はんにゃしんぎょう)――

彼岸会(ひがんえ)――



ヒンドゥー教――寺院や祭司は存在するが、教祖や教義・経典を持たないインド固有の土着の宗教。そう言った面では日本神道に似ている。

仏性(ぶっしょう)――

仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)――















プロテスタント――

















〈ま〉





妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)――曹洞宗では大乗妙典とも言い、特に「観世音菩薩普門品」「如来寿量品」「如来神力品」などが日課として唱えられる。28品(部)からなる全ての完成次期は紀元後100年前後とされ、これは新約聖書が完成された紀元後100年頃に相当匹敵する。預言的な面や現代社会では差別的として扱われる面など、その内容も酷似。その為、釈尊の直接の言葉ではないという声も。















モーセ――十戒、出エジプト記などが有名。十戒については、仏教にも同じような内容で10項目の「十重禁戒」が存在する。出エジプト記に関しては、海が割れたのではなく、大きな潮の満ち引きによるものだったというのが現代科学の見解である。



〈や〉

























唯心論(ゆいしんろん)――基本的に、心や精神を主体的になり、物や社会が従属的になるという考え。キリスト教などに多くみられる考え方。

唯物史観(ゆいぶつしかん)――

唯物論(ゆいぶつろん)――基本的に、物や社会が主体的になり、心や精神が従属的になるという考え。マルクスに始まる共産主義に多い考え方。





















預言者(よげん)――俗に言う予言とは異なる。預言者とは神から言葉を預かって来た者であり、予言者とは(未来を予知・予見したりして)予め言う者である。イエス・キリストは預言者、ノストラダムスは予言者といえよう。また、ノストラダムスについては天文学者であり、科学的見地から物事を予言していたと言われている。



〈ら〉





輪廻転生(りんねてんしょう)――バラモン教などに見られるインド古来の考え方。仏教では生まれ変わりを繰り返して修練を積み、輪廻転生を終えて解脱した人間は仏として姿を留める。















六道(ろくどう・りくどう)――仏の世界を除く、6つの迷いの世界。天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄のことで、畜生・餓鬼・地獄を合わせて三途という。

六波羅蜜(ろくはらみつ)――

〈わ〉

























〈ん〉